4月の帰国中に大量の本を買ってむさぼるように読んでたのですが、最近の自分の記憶力の減退は著しく(苦笑)「あ、これいいな」ともったことはちょっとどこかでまとめないとなんだかすべて忘れてしまいそうで怖い。。。私の場合、記憶も理解も「書く」こととリンクしているのでちょこちょこ、かいてまとめていきたいと思います。
(写真はあまり関係ないですが、中国系住民が密集するサンフランシスコのSunset地区のSunset)
「フラット化する世界」を読んで、どきん、として、ものすごく長い(そして暑苦しい)エントリーをかいたのは1年半位前の話です。それから日々日本とアメリカの間みたいなところで生きてきて、「ずれ」をかんじてました。私は何か見落としているのか、というか。
そうなのか?日本は本当に「フラット」になる必要はあるのか?なんだか、日本からでなくても生活していけるって(いや実際できるんだけど)心から信じている人が凄く多い気がするけど?実際日本は居心地いいし、ご飯おいしいし、サービスいいし、公共交通機関の整備具合は(混むし疲れるけど)満点だし。日本人ががんばって海外に出て行く必要なんて実は無いんじゃないの? フラット化への恐怖はもしかしてアメリカにかぶれた私の心配しすぎ?
・・・っていう現象が、「パラダイス鎖国」なんですよ、というのをシリコンバレー在住のコンサルタント、海部美知さんのブログで読んで目からうろこ。
パラダイス鎖国とは「自国が住みやすくなりすぎ、外国のことに興味を持つ必要がなくなってしまった状態」。世界市場の中でそれなりの大きさを持つ日本市場でビジネスができてしまうことによって世界的な競争力を失ってしまったことをさしている、といいますと。うまいネーミングですよね。
で、そのブログエントリーをテーマにした本がこの「パラダイス鎖国」。ブログ本というか、エッセンスを使った書き下ろしに近いです。本としての構成もがっちりしてて、内容は凄く濃い。
海部さんは「日本の大企業が国際的にプレゼンスを失っていること、また海外市場に対する意欲を失っていること」にたいする問題提起をしていらっしゃいます。パラダイス鎖国ってそんなにいけないのかな?というむきにも、「日本は他の国の人から入ってきにくい国だからそこは自分たちの牙城」っていうのは、日本が大国でい続けるから可能なモデルなので、競争力が比較的に落ちて行っていることは国力の衰退だ、という説明でしっくりきます。そして、それに対して大上段にああすべきこうすべきというのではなく、個人レベルでできることは何、という穏やかなしめくくりをされています。逆にいえばそれだけ「特効薬」のようなものはない、難しい話だってことです。
アメリカ在住の日本人で、「日本って思ってたよりプレゼンスがない」って感じていない人はいないと思います。最近感じるのは、日本のことしってて英語が話せる、ってだけじゃ10年後は通用しないんじゃないか?っていう感覚。もちろん業種によりますが、アジア広域くらいを自分のカバレッジにできないと厳しくなる分野がかなりでてくるんじゃないの?つまり、日本はにほん、という特殊性を失って、アジアマーケットの一部としてあつかわれるくらいのプレゼンスになる。と、超優秀な中国人とか高学歴な韓国人とかと競う、という大変にしんどい状況の発生が予想されます。
ところで今日新しいクライアントに行ったら「日本人の監査人に会ったのはじめてよ」と経理歴20年のコントローラーのおばさまにいわれました。実は、これを言われるのは初めてではありません。日本人の会計士はアメリカの大都市部では需要の多い、大手監査法人の日本企業部で日本企業のお世話をするのに忙殺されてしまい、アメリカの普通のプラクティスにはいって純粋なアメリカ企業を担当することがかなり少ないからなのだと思います。
それだけ、日本企業が海外でプレゼンスがある、というよりは、会社の担当者が日本語が話せる会計士を出してくれ、というリクエストをするという、他国企業の米国拠点ではちと考えにくい特殊な状況が許されていることでしょう。私は中国系企業も担当してますが、そこのクライアントの経理部は英語・中国語を話すひとばっかりなので、別に中国語を話せない私でもいいのです。で、日本企業を担当した外国人が口をそろえて言うのが「言葉の問題以上に意思の疎通が困難」ということ。独特のスケジュール感、独特の意思決定、独特の要求水準、、、「あれは日本人じゃないとつとまらないよ」。これは、会計事務所と日本企業の間柄に限らず、日本の顧客と他国のベンダー、なんかの間柄でもよく聞かれること。しかし、それでもお付き合いしてもらえるのは日本のプレゼンスが高い間だけですよね。日本企業はそれでいいのだろうか?
そして日本の会計士も、極端かもしれませんがもっとどんどん、アメリカに限らず、世界のほかの国に行って気軽にその国の人にまみれて仕事をしてみればいいのに、と思うんです。簡単な話ではないかもしれませんが、責任の重くない若手のうちにどんどん、比較の対象になるような経験を積むといいと私は思う。比較対象をもつことで、日本ではこだわられているけれど実は重要でないものを捨てることができる、とか、自分にとって本質的に大事なこと、に近づくことが可能になると思うので。ま、日本になじみにくい人になる、というもろ刃の剣的な要素もありますが。。。
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