1.日本経済は成長しない。
立ち直れない、という言い方が刺激的過ぎるのだけど、その前に「日本経済は成長しますか?」という問いをはさむと、「成長はしない」わけです。これはわたしの意見ではなくて、統計が言っていること。池田信夫氏が「
希望を捨てる勇気」というこれまた、数週間前に物議をかもしたブログで紹介しているように、2008年の経済財政白書が想定する日本の潜在成長率は、今後30年にわたって1%に満たないんですよね。今回の金融危機を織り込めば実質マイナス。
内需メインの製造業の低迷をみれば違和感のない数字で、日本は成長しない、日本の外にものを売るしかない、激しい価格競争にさらされるため結局製造拠点を海外に移すしかない、ゆえに労働需要もどんどん減って、とこの問題はループしてます。「リーマンショックで」と昨年末の派遣村騒動のときによくテレビが紹介しているのをみて、違うだろーとずっと突っ込んでいたのだけど、金融危機はこの問題を表面化させる役割を果たした、という意味では、日本にとってはしかるべきタイミングでおきたのかも、とすら思います。
人口が減るから成長率はさらに低くなり、成長しない国に新しい命がはぐくまれない。というのが、友人がおくってくれたまたショッキングなこちらの記事「
人口学が警告する日本の転落」。数字でみる日本はさらに「衰退しつつある国」。
「人類史上類を見ない速さで少子高齢社会に突き進んでいるので、「若年人口爆発→社会の不安定化」のような経験則には頼れない。しかし、人口構成がどのように変化するかは、ドラッカーの言葉を借りれば「すでに起こった未来」としてほぼ確定している。国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、30年後の2039年には人口の過半数が55歳以上になる。これは日本が巨大な「準限界集落」と化すことを意味する。」
準限界集落って言葉の響きが怖い。限界集落(げんかいしゅうらく)とは、過疎化などで人口の50%が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことを指すそうで、限界集落を超えた集落は「超限界集落」から「消滅集落」へと向かう、のですって。(以上wikipediaによる) 消滅。。。
2.成長しないのはそうとして、立ち直れない?
しかし、成長しない。。。のは多くのEU諸国もそうなんだし、ある程度成長してしまった国の宿命でもあり、それだけで悲観することはないはずなんですよね。多くの日本企業は「日本市場はマクロとしては成長しない」ことを前提に戦略を打っている(はず)し、国家としても戦略的に立ち回ったら?、というところで、政治の舵取りにまったく期待ができないこと、「世界に類を見ないスピードで」成長した日本は、またしても類を見ないスピードで転落しそう、というあたりが、「立ち直れない」という議論になるのだと思う。
この先は非常に定性的な議論しかできないけど、日本に帰ってきて、ご飯おいしい、洋服かわいい、とはしゃいでいたわたしですが、もともと優秀だった友人が仕事が忙しすぎて鬱になってしまい会社にいけないとか、働きたい女性の友人が、子供が保育園待機中で仕事に復帰できなくて困っている、とか、普通に会社勤めをする友人が「3人目の子供がほしいけど、経済的に不安」なんていうのを聞くたび、こんなことは、自分にも簡単に起こりうるわけで、自分たち世代にとって相当いきにくい社会が目の前に開けているのを肌感覚として感じます。
この前会計士友人たちと飲んだときは、地方の再生案件にかかわっている人が何人かいて、どれほど地方の地盤沈下が深刻化という、東京と海外という目線ばかりになりがちなわたしが知らない日本の別の姿を生々しい経験談としてきいて、自分に見えていない日本がいっぱいあるのを痛感したし、
連休中珍しく3時間くらいテレビをつけていたら、「定職に就けないため結婚ができない男性」「生活保護も受けられず体を壊すまで働く母子家庭のお母さん」「将来に希望のない若者たち」という話題が延々とつづき、こういう話題って自分が子供のころに光が当たっていなかったな、それが今これほど問題になっているということは、社会の「底」がぐーっとあがっていっているんだろう、という怖さを感じました。
なんというか、自分の生活はすごく薄い氷の上に乗っているんじゃないかなー、と言う感覚。
3.だから何ができるかっていうと
にしても、
海部未知さんがおっしゃってるように「日本という怪物」は大きい。んで、マクロな話を大上段に振りかざすより、実際にこの世界を行きていかなきゃいけないわたしたちは、自分の生活をまもりながら自分にできることをしていくしかない、とわたしは思ってます。そういう人が増えると、少しずついい方向にむかうんじゃないか、という効果ももちろん期待。
興味ぶかいのは、若い世代からお年寄りまで「日本はやばい」っていってることで、にもかかわらず何も進展していないところ。先日、金融系ブログ&関係者飲みに顔をだしたところ、今のエスタブリッシュドな経営者世代は「日本をなんとかしなきゃ」というテーマが大好き、そのテーマであればすぐ人が集まる、、、というようなことが話題になってたんですが、そもそも、明治の最初から日本は基本的に、他の国とわが国をひき比べて、やばいやばいと焦っているのかもしれないな、と。そういう、自己批判的な姿勢は日本のいいところでも悪いところでもあるとおもってますが、「坂の上の雲」の時代ではないので、個人の力が即国家を引っ張る、というには日本の制度は複雑になりすぎてしまってますよね。
4.というところで、、、
最初に戻ると。1)日本はもう立ち直れないと思う。だから、2)海外で勉強してそのまま海外で働く道を真剣に考えてみて欲しい。というのもひとつの生き方。それについて、「日本を棄てるのか」という議論は狭すぎるでしょう。だれだって生きていかなきゃいけないわけですから。
ちなみに自分の感覚として、海外でいきてくの、むちゃくちゃ大変。その辺をがんばってきた海外在住者の中にはきっと「こんなに大変なことなんだから価値もあるはず」という意識を持っているひとはいなくはない。。。アメリカの話しかできませんが、アメリカに居続けるのであれば、ネイティブでない英語でビジネス界で生きていくのはしんどいし社会保障も薄いし(アメリカでは、友人が、父上が脳溢血で倒れて1週間入院したら医療費が2500万円に及び、涙ながらに子供の将来の進学資金を取り崩し父親の医療費に充当する。。。のを見て、なんて恐ろしい国だと思ったことがある。公共インフラの整備度合いは、先進国の中で最も薄いと思う)良い環境を保ちたければ住居費も日本よりたかいし、いろんな意味で頭が痛いです。
ただ、日本でほどとがった方にいなくても、自分が死ぬまでくらいは今と同じ程度安定した環境を望むことはできるのかも、という安心感はあります。アメリカって、優れた教育・研究機関がそろってて、金融危機がおきようがなんだろうが、アメリカに移住したい人たちが首を長くしてビザを待っているような国で、国としての底力をほかの国が支えるという構図になっており、そこは仕組みとしてすばらしく強い。その、世界連動型というしくみ自体、「ひとり老衰していく国」になってしまった日本とはやっぱり違うんですよね。
・・・話がそれたけど、「海外に自分の拠点を求める」というのは、上述したように厳しいけどこの時代のサバイバルのひとつの解ではあります。けど、すべての人が日本をでる必要もなくて、日本の中で「エッジ」でいることも、海外に出なくても十分なサバイバルではないかと(その辺は千賀さんもちゃんと文中で書いてるんだけど、そこまで読んでないで反論してる人はいっっぱいいるんだろうな。文章で自分の言いたいことは結局少ししか伝わらないということなのでありましょう)。
IT系「流しの」コンサルタントである友人が、そちらの業界では、日本のなかで結構面白いことが常におきているので、日本でエッジな人たちが海外でなにかをやるというインセンティブが意外とない、ときいてそういうものかー?と思ったのだけど、少なくとも、産業をリードしているのがわたしたち世代、という、やわらかいエリアでやっていくというのは、ひとつの解。76世代、という言葉があるように、そちらの分野では現状への閉塞とは無縁の同世代が活躍していますし。ファイナンスやコンサルティングの世界でも、同世代で企業のマネジメントがたを導く提言をできるプロフェッショナルは確実に存在するし。
一方、20代後半にいったん海外にでたわたしは、
個人的には、海外といったりきたり、日々海外とコミュニケーションをとることが普通の層がもっと増えると、日本が世界に対し「付加価値の高い業務」を輸出できる国として存在感を発揮するという、製造業立国としての役割を終えた日本が生きていく術もあるんでは、と言う希望も思っています。たとえば、「日本の会社として海外の会社の頭脳労働をする」というような分野で価値がだせる余地。
なので海外とのつながりは切らないことで、日本以外の国の成長も自分の糧にできるようにリスクヘッジしつつ、日本が住めない荒野になってしまったら海外移住の可能性ものこしつつ、当面は日々、普通の日本人として普通に海外と仕事をする、普通のプロフェッショナルであることで、ちょっとでも日本の産業構造の転換に寄与できたらなー、ということを、淡々と続けていくかなー。でもって、自分にそういう可能性と視点を与えてくれた、ということで「海外で働いてもいいんじゃない?」とわたしは思っております、はい。
ちなみに、書いている間に、ずっとまとまった書き方で、わたしの言いたいことは全部言われた!と思ったのがこちら。
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