サンフランシスコをたつ前の最後の日。
アパートの退去手続き、お土産の買い物、ばたばたと駆け回っていた私は、会社でよく仕事していたシニアアソシエイトからの電話に気づき、苦笑しながらとりあげました。
「なあに?わたしもう仕事の質問は受け付けていないんだけど!」
最終退社日をずらさなくてはいけないほど最後の数週間は仕事が忙しく、退社したあともよく職場から電話がかかってきていたので、こまったもんだと思っていたので出た言葉ですが、その次の言葉をきいて私は凍りつきました。
「今日、会社ですごく大きいレイオフがあったの知ってる?僕も、レイオフされちゃったんだ」
その前日、オフィスの近所で自分のgoing away drinkを企画し、何人かの親しかった同僚や後輩も呼んでいたのですが、結局顔を出してくれたのは一人だけで、アメリカ人はしかたないなあ、と思いながらも、ちょっとさみしかったのですが、とりあえず買物の予定を切り上げて彼をカフェに呼び出して私が知ったのは、私が声をかけていた同僚たちのかなりがその日、自分が翌日のレイオフの対象になることを知り、夜中までオフィスを引きはらう準備をしていた、ということでした。「ハッピーな理由でここを去る私に、バッドニュースをあまり伝えたくなかったので、顔を出さなかった、ごめん」と聞いて、思わず涙ぐんだ私に、「大丈夫、大丈夫」と後輩は繰り返してくれました。
その後の身の振り方の相談に乗りながら、「何が起こるか分からない」という、ここ数カ月の感覚が自分の体にじっとりと落ちてくるのを感じました。 不況の影響と、SOX法などの業務のかなりが数年前に比べ格段に減ったこの1年ほど、どこの会計事務所も大きなレイオフをしています。私のいたオフィスは5月位にそこそこの規模のレイオフがあり、その後、個人の仕事のプロダクティビティの監視がめっきり厳しくなりました。私の最終出社日に数人のレイオフがあり、おかげで人事のスケジュールが相当詰まっていて、自分のExit Interviewまで1時間も待たされた。。。という経緯があったのですが、その時、最近めっきりつかれている人事のマネジャーから、来週も相当規模のレイオフが次に予定されている、とは聞きました。それほどの規模のレイオフを事務所が行うのは30年ぶりだそうで、規模としてはほぼ、ダウンサイジングに近いです。
退社前の数週間、コンフィデンシャルなミーティングにはあえて出ていませんでしたし、今まではやはりパフォーマンスに何らかの問題がある人がレイオフにあっていたので、彼のように優秀で、仕事もきちんとこなし、自分も高い人事考課をつけてきた人がレイオフの対象になるとは私も全く思っていなかったので、寝耳に水。対象になったほかの同僚に関してもそれは同様で、今回ばかりは私自身も在籍していたら当たっていた可能性がある、と思いながら、苦いコーヒーを飲み下しました。
あまりに忙しかった最後の2週間ほど、「ああもう、いっそレイオフになればなにも引き継ぎしないでいいし、パッケージもでるし」などと口にしていた私ですが、自分の性格を考えたら、自分の意思でなく職場を去らなくてはいけないという状況には、ひどく傷ついただろう、と思います。 アメリカの会社が強いのは、業績が悪化したらさっさと従業員をカットし、人件費を調整することが容易だから、などと最近思っていたのですが、まったく同じことが自分のオフィスでもおきていたわけです。
「今日は家まで歩いて帰りながらゆっくりかんがえるよ」という彼と、駅までの道を一緒に歩きながら、ふと落ちてきた言葉が
TODAY is a gift that's why we call it the present.
こんな一日でも、今日という日はプレゼント。だとすれば、 最近仕事に悩んでいたので、いいきっかけだったかも、と言っていた彼にとって、次のキャリアへの転換点というプレゼント、であればいいと思いました。 無理にでもそう考えられるひとでないと、ここでは生きていけない。
「次の仕事のこと、私にできることはなんでも力になるから連絡してね。。。」 握手をして、彼を見送りながら、心から彼や同僚たちの幸運を祈りました。
しかし。。。ここ数年間の大量採用を行っている日本の会計事務所では、明らかにスタッフが余り始めているときいていますが、こんなドラスティックなレイオフもできないだろうし、いったいどこに行くのでしょうね。
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