アメリカの年末年始と言うのはクリスマスを中心に日本より1週間先に訪れると考えるとしっくり来ます。新年明けて今日は1月2日、日本ではまだ松の内で家でごろごろしている日ですが、アメリカにおいては朝からきっちり仕事は始まり、電話もメールも通常と同じ量飛び交う、情緒もへったくれもない通常業務モードでありました。
その代わり、クリスマスはたっぷり家族の行事。クリスマス後の先週もオフィスに人はまばらで、非常に静か。一方でホリデイシーズンは狂乱の買い物シーズンでもあり、アメリカの年間消費の20%が11月終わりのサンクスギビング後からクリスマス前後でなされるとかで、誰には去年こんなプレゼントをいただいたからこれを、だとか、Post X'mas Saleでこれを買おうだとか、なんだかしがらみもおおそうで大変そう。大量消費文化王国アメリカのこの騒動がいやだと言う人もかなりいるんだそうで、特に観光客が押し寄せるNYに住む友人の日記を読んでいたら、山の中での仏教修行に参加してNYCを抜け出してしまったのだとか、なんていうか、現代的というか、すごくエッジィにNYで生きているって感じ、というのは田舎モノの感想ですね。ベイエリアは、日々通勤する幹線道路のすぐ脇にだって森がもこもこと茂って、鹿やらコヨーテやらがぴょこぴょこ飛び出してくるような場所柄で、海ぞいのドライブと緑の草原などは平日の帰り道でも拝むことができるせいか、東京に住んでいた頃のような「都会からの逃避欲求」というのから無縁になってしまいました。。。
さて、クリスマスの翌日、12月26日のことをBoxing Dayとよぶのだそうです(意味はリンク参照)。本来のBoxing Dayである26日は友人に連れられてあるホームパーティーにお邪魔していたのですがが、ある意味本来のBoxing Day - 「使用人」へのアプリシエーション、と言う意味では、29日にボスの一人であるパートナーの家に招いていただいたパーティーがそれに該当したように思います(。。。プロフェッショナルファームのパートナーとそれ以下は、うんやはり力関係的には「使用人」と「ご主人様」ですな、笑)。ちなみにこのボスは女性。男性のボスがホームパーティーをしてくれたのは今のところ私は経験がないんですが、想像すると、普段から家も空けがちで休みはたっぷり家族のために使わなきゃいけないところ、奥さんに「部下を呼びたいからもてなしを手伝ってくれないか」とは男性は言い出しにくいのでしょうか。
サンフランシスコから車で30分の郊外。ハイウェイを降りてすぐ、丘の上に向かう曲がりくねったわき道に入ると、すでに別荘地の赴き。真っ暗な道をおそるおそる運転してたどり着いたのは品のいい高級住宅地の一角。呼び鈴を鳴らすと、ボスの「二人のギャング」、4歳と7歳の男の子が奇声とともに飛んできてじゃれ付いてきた。ひゃー。これと毎日戦いながら仕事してるですか、ほんと彼女はタフだわ。。。
さて、素敵なおうちでした。岡の上で眺めも良く、緑多い住宅地、サンフランシスコまでも楽に通勤圏内。二人の子供が駆け回って十分なスペースのあるリビングルーム、旦那さんの趣味だというオーディオフル装備と大画面TVが設置された美しいオーディオルーム、バックヤードには灯りをともしたプールとデッキチェア、広く使い勝手のよさそうなキッチン、シックなダイニングルーム、パティオのグリルでせっせとダンナさんがお肉を焼いている。お金がかかっている家なら他にもいくらでもあるんですが、日本でこういう生活+刺激的な仕事って、ものすごく限られた人にしかできないな、というのを考えと、ボスの「生活の質」という面から「豊かだなあ」と思いました。「女性にとっての人生」を云々するのは得意ではないのですが、二人の子供のお母さんであり、一線の「キャリアウーマン」であり、という絵は日本では非常に描きにくく、アメリカでは、もちろんタフなことではある(彼女のハードワークには頭が下がるし誰にでもできることではない)けれど、特別なことではない。この、特別なことではない、というのが大事なのだと思うんですね。何かを犠牲にするとか、あきらめるとかしなくても、とりあえずやってみるか、ということができるので。
あとから同僚が数人到着。
シングルマザーである女性の同僚は、12歳になる息子を伴ってあらわれました。喜怒哀楽が激しくにぎやかで華やかな彼女の一人息子は、好対照に寡黙で落ち着いた男の子。かれがボスの息子たちの面倒を見るのを引き受けてくれたおかげで大人たちは落ち着いて食事ができたと言うもので、しっかりしているなあ、と感心する。アイスクリームをお母さんにねだりに来たときはちょっと子供らしい表情だったけど「うちの子はほんとindependentでしょう」彼女は非常に誇らしそう。
いつもカープールを一緒にしているスイス人の同僚と奥さんは、6ヶ月になる青い目の赤ちゃんを抱いて登場。彼の母国語はドイツ語なのだけど、彼のドイツ語と英語は面白いくらいトーンが一緒。ヨーロッパ言語の人は、母国語の延長で英語も話す。基本的に文法のつくりや言葉の構成が似ているからでしょうね。私が日本語になるととたんにトーンがかわって、早口に甲高く「歌うように」しゃべるのがよほど面白いようで、帰りの車のなかで私が日本語で電話をしたりしていると、くすくすずっと笑っている。しかし、最初はなした時「あんまり私と英語力かわんないんじゃないかなー」とか思ったけれど(失礼な奴)彼の英語はアクセントがあっても常に説得力を持って響き、クライアントからの信頼もあつい。いつもそれを観察しているのですが勉強になります。
科学者であるやさしい旦那さんを連れて登場した女性の同僚は、来年夏に子供をadaptすることを発表し、「わたし、練習しなきゃいけないわね」と、スイス人カップルの子供を恐る恐る抱く。中国から子供を「養子にもらう」というのは非常にアメリカで一般的なことであり、台湾出身の彼女たちカップルは、「優先リスト」に載せてもらえるため普通より早くに子供をadaptすることができるんだそうです。中国には国営の「養子斡旋業者」があって、などと聞くと、「金で子供を買うというのは。。」という考えも頭をもたげ混乱してしまう。けれど、もうすぐ自分の下にやってくる赤ちゃんのことを目をきらきらさせて話す彼女たちを見ていると胸が温かくなります。誰に対しても暖かく、責任感の強い彼女は、きっといいお母さんになることでしょう。
イギリス出身の同僚は、詩人の肩書きももつCA(Charterd Accountant 勅許会計士)で、来月イギリスで本を出すのだそうだ。Amazonで買える?と聞くと「多分ね」とちょっと照れくさそう。彼のイギリスアクセントが最初の頃本当にわからなかった(たぶん彼も私が何言ってるかわからなかっただろうなぁ)。ちなみに、会計用語で有名なイギリス英語とアメリカ英語の違いがあって、「棚卸」、Inventory Count(米)Stock Take(英)。
彼とクライアントの会話、
同僚"Then when do you perform the stock take for this year end?"
クライアント"...stock, what?"
同僚"stock take."(かたかたとしたブリティッシュアクセント)
クライアント"so...are you conting our stock?"(困惑気味)
同僚"Yes."
という掛け合いを、私はニヤニヤしながら聞いていたことがあります。アメリカの会計用語でstockといったら普通、株式以外の意味はないので「株式数えるだって???」というクライアントの混乱振りが良くわかって面白かったのです。
中西部出身、「アメリカの悪ガキ」がそのまま育ったような風情だった同僚は、半年間イギリスに研修でいって帰ってきてから、ちょっと雰囲気が大人びた。「クリスマスはつまんなかったよ、実家でかーさんに『あんたはいつ結婚すんの』ってしつこく聞かれてさ」と、こればかりはどこの国でも共通な様子。彼は、人が集まると、いつも私がサンフランシスコにきたばかりの頃、運転の練習に付き合ってくれたことを持ち出す。「あの時は、彼女がゴールデンゲートブリッジの柵から太平洋にダイブするかとおもってさー」と、彼が面白おかしく話すのを、苦笑しながら私は聞く。3年前、たまたま隣の席になった英語の下手な日本人を、彼は結構良く面倒見てくれました。金曜日の夜、何すんの?ときかれて「洗濯」と素で答えたら、パーティーに引っ張り出してくれたこともある。数年前、ウィスコンシンから「ホンダ・シビックの後部座席にトランク一個ころがして」サンフランシスコに一人やってきて生活をスタートさせた彼は、「一人で違う町で生活始めるのってさ、簡単じゃないからな」と、自然に面倒見がいい。
それにしても、一人一人、違うバックグラウンド、違う価値観をもつのは当たり前で、異なる部分は「違うから」と割り切って尊重しあう、摩擦の少ないさっぱりした仕事仲間との距離感は、私にとって常に気持ちがいいものです。アメリカで、仕事上で人間関係のストレスはほとんどなくなったのだけれど、それは、この距離感が自分にとって心地がいいからなのでしょう。もちろん、私が外国人意識が抜けていなくって、事務所の中のポリティックスから一線をひいているせいもあるかもしれないし、他のプロフェッショナルファームほど厳しい形ではないにしてもUp or Outがとわれる組織であり、職場の誰もが理想の仕事仲間、といっているわけではありません。上のポジションに上がっていくほどに泥臭いことが増えるのもわかっていますし、アメリカ的「自分プレゼンテーション」ができないゆえに自分が損をしているな、と思うこともないわけではないんです。ただ、帰りの暗いハイウェイを運転しながら、日本に居た頃の、職場での人間関係の悩みの源泉は、日本は基本的に「均質」が前提なので、「違う」ことに対する受容性が一般的に低めに設定されている(自分自身もそうだったし、周囲もそうだった)ためだったような気がして、違うということを前提にしてしまうといろんなことが楽になるんだなー、と思ったわけです。みながてんで違うバックグラウンドと違う価値観で生きているのが自然だと、最低限必要なところ以外、こだわりがなくなるんですね。
「違うこと」が自然で、自分は自分、という意識が強くなったのが、アメリカで働き出して一番変わったところかもしれません。そうなると、いろいろ、怖いものがなくなっちゃう、、、のが実は一番怖いことなのかもしれないですが(笑)、考え方の違う人に仕事上でぶつかっても以前ほどいらいらしなくなったし(昔はちょっと誰かとぶつかってはぴーぴー言っておりました。。。)、自分よりできる人、恵まれている人をみてあせったり、嫉妬したり、ということもなくなってきた、というあたり、自分自身が楽になったので、良かったです。アメリカで私が身につけた一番大きいものはいまのところ、英語力でもなく、USGAAPの知識でもなく、Sox404のAudit Skillでもなく、そういう「図太さ」「いい加減さ」のような気がしてなりません。(そこ、単に年取った分丸くなったんでしょ、とか、いわないよーに)。
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